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渋沢栄一と社会福祉

2024年7月から新一万円札の顔となった渋沢栄一は、「近代日本経済の父」等と称されていますが、全社協の初代会長でもあり、今日の社会福祉の礎となる慈善事業の推進、寄付文化の振興にも大きな功績を遺しました。
ここでは、社会福祉における渋沢栄一の軌跡を紹介します。

  • 2024年7月23日特設「渋沢栄一と社会福祉」公開(コンテンツは順次公開予定)

渋沢栄一アイコン

渋沢栄一はこんな人

初代会長

全国社会福祉協議会は、1908(明治41)年に「中央慈善協会」として誕生しました。渋沢栄一は、その初代会長でした。
渋沢栄一は、それぞれの慈善事業が一時の施与にとどまらず、真の救済、すなわち自立を支える活動となるためには、慈善団体・慈善事業家相互の連携を図ることが重要としました。
その精神は中央慈善協会の設立趣意書に明記され、現在の全社協、なかでも社協組織等の全国的なネットワークとして引き継がれています。

500<600

渋沢栄一は約500社の企業等の設立・経営に関わったとされていますが、同時に約600の慈善事業や教育・研究機関などの設立・運営に力を注ぎ、その活動は終身にわたるものでした。とくに晩年は、病床にあってなお救護法の施行に向けた運動に尽力しました。

基盤づくり

社会福祉の広範な分野、事業経営やネットワーク整備をはじめ、災害時支援、寄付文化の振興などにまであまねく関与し、現代に続く社会福祉の基本的な体系づくりに尽力しました。

渋沢栄一アイコン

現代の社会福祉に続く
渋沢栄一の事績

1874

明治7年

社会福祉との関わりの始まり

今から150年前、当時34歳であった渋沢栄一は、慈善事業の先駆けである「東京療育院」の運営に関わり始めました。その縁は生涯続きました。

「社会福祉との関わりの始まり」を見る

1908

明治41年

中央慈善協会 創立(全社協の誕生)

日本の慈恵救済の仕組みの近代化という急要に対応するべく、慈善団体等の全国的な連絡調整機関として創設された中央慈善協会の初代会長に就任しました。

「中央慈善協会 創立(全社協の誕生)」を見る

1919

大正8年

埼玉県 民生委員・児童委員制度

岡山県(済世顧問制度)、東京府(救済委員制度)、大阪府(方面委員制度)に続き、埼玉共済会の福利委員制度 創設に寄与。後年、全国方面委員連盟(現:全国民生委員児童委員連合会)の初代会長就任。

1923

大正12年

関東大震災で奔走

被災地慰問、民間による救援活動、国内外からの資金調達、政府 帝都復興審議会への参画等に取り組む。

1929

昭和4年

救護法施行促進運動のおこり

震災や恐慌等を経て、救貧救済に向けた国の責任を明確にする救護法が成立するも、財政上の理由から施行が危ぶまれ、施行促進運動が興る。渋沢栄一は病床にある身ながらも、先頭にたって関係大臣への陳情などを重ねた。惜しくも渋沢栄一が息を引き取った2か月後の1932(昭和7)年1月に施行が実現した。

実業家として

寄付文化、企業の社会的役割の牽引

国際人として

国際親善・協力

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