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昭和前期:中央社会慈善協会の発展
新たな公的救済制度「救護法」の成立

第1次世界大戦後の不況、関東大震災、それに続く昭和2年の金融恐慌等が相次いだ結果、数多くの生活困窮者が発生した。しかし従来の恤救規則ではこうした人々の支援は困難であり、新たな統一的救済制度の早期実現が求められるようになった。一方で、民間の事業家による社会事業の運営のあり方にも課題が指摘され、社会事業の組織化、体系化は官民双方からの要望であった。

そこで政府は、内務省社会局内に社会事業調査会を設置し、救済制度や社会事業に関する諮問を行った。同調査会は特別委員会での審議結果を内務大臣に答申、政府はこの答申を基本に救護法案を作成、昭和4年3月に成立する運びとなった。

救護法は、従前の恤救規則に比べ、救護対象者や救護の種類を大幅に拡大するとともに、公的な救済義務を明確にしたものであった。

難航する救護法実施と関係者による実施促進活動

しかし、折からの不況のなか、必要な予算の確保ができず、救護法は成立すれども実施時期は未定という状況に陥った。救護法の実施にめどがつかないことを受けて、中央社会事業協会は、方面委員をはじめ全国の社会事業関係者と一体になって強力な救護法実施促進運動を展開。こうした実施促進運動は、昭和6年2月には、全国の方面委員の代表1,116名が連署した「救護法実施請願ノ表」を上奏するという事態にまで発展した。

こうした運動の結果、競馬法改正による財源捻出により、関係者の悲願であった救護法は昭和7年1月1日から実施されることとなった。

病を押して法の実施を訴えた渋沢栄一会長が永眠したのは、法の実施に先立つ2か月前のことであった。

 社会福祉の動きと全国社会福祉協議会の活動

※年表赤字は全国社会福祉協議会関連事項です。



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