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明治期:民間慈善事業の萌芽と中央慈善協会の設立
殖産興業と公的救済制度の創設

明治維新後の新政府は、世界の列強に肩を並べようと強力に「富国強兵」「殖産興業」を推し進めた。このため、工場労働者の増大や農村人口の流出を招き、貧しい都市下層社会が形成された。こうした民衆の公的救済制度として明治7年、「恤救規則」が制定された。これはわが国で初めての全国統一の救済制度であり、昭和7年の救護法制定まで、日本の救貧制度の中心となったが、その対象は限定的であった。

慈善事業家の活躍と全国的な連絡組織設立の動き

こうしたなか、「慈善事業」「救済事業」と呼ばれた当時の社会福祉事業にあっては、孤児や棄児の保護、不良・犯罪少年の更生等を民間の宗教家や篤志家が中心となって行っていた。こうした宗教家や篤志家による救済の活動は、次第にその範囲を広げ、貧民の救済や貧困防止、犯罪者の矯正などに関する研究や新たな事業への気運を高め、全国的な連絡組織設立の必要性が指摘されるようになった。

明治36年、大阪で開催され、慈善事業家約200名が参加した全国慈善大会においてわが国初の全国的連絡組織「日本慈善同盟会」の設立が決定されると、その後の設立準備は、公私関係者の慈善救済事業の研究会である庚子会に委託され、会の名称を「中央慈善協会」に改めるなど、具体的な検討が進められていった。

中央慈善協会の誕生

日露戦争の勃発により一時見送られていた協会設立の動きは、戦後の救済事業が拡大するなか、再度活発化するところとなった。

そして、明治41年10月7日、当時東京麹町にあった国学院講堂において、中央慈善協会の発会式が行われた。発会式では、初代会長となった渋沢栄一から協会設立趣意書が発表された。

設立趣意書クリック
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